ちょっと真面目な話


〜はじめに〜

この文章はゆみぞう30才と1ヶ月の時点での私見であり
それをまるごと正しい事だと信じたり、また出来れば
否定もしないで頂いて(笑)「そういう考えもあるか〜」と
思って読んで頂ければ、これ幸いでございます。m(_ _)m


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そうですねまず、ワタシは良い話が好きです。
上杉鷹山の話を聞いて、米沢が好きになってしまう
単純な性格です。また、悪い話は好きじゃないです。


好き、嫌い等の感情はおおざっぱに言えば
快(好き、楽しい、嬉しい、感動、笑う、気持ち良い、等)
不快(嫌い、悲しい、怒り、恐怖、泣く、気持ち悪い、等)
に分けられると思います。
そして快、不快の感情はつきつめて考えれば
種の繁栄に有効か、有効でないかだと思います。


ワタシは良い話を聞くと、すごく嬉しくなって
いっぺんにその場所や人が好きになってしまいます。
また、悪い話を聞くと、嫌だなあと感じ、何か理由が
あるはずだと考えて調べたり、自分に被害が及び
そうな場合は、すすす、と引いてしまいます。
これは性格の善し悪しや、事なかれ主義というのではなく
単にそれが有効だ、と体が判断してるんだと思います。


多分ワタシのご先祖様は、敵を作らず仲間を増やす
方法を選択して生き残ってきたのでしょう。
だから、好き(快)という感情が生まれるんだと思います。


また、嫌(不快)だなあという感情も自然なものだと思います。
よく、日本の交通機関のオンタイムはすごいと言われます。
ワタシも時間どおりにこないとイライラする方です。


「日本人は逆算する民族だ」と、どこかで見たのですが
ワタシも待ち合わせが何時なら、歩きに何分、乗り換えに
何分、よし何時何分の電車に乗ろう!と思います。


四季がはっきりしていて、主として選んだ食物が米で
確実に収穫の180日前には準備をしていなくてはならず
いつ苗を育て、いつ稲を植えて、いつ稲刈りをするかが
生死に直結していたから時間に正確なのだ、という説を
ワタシは、なるほどなあ〜と思いました。


もちろん日本の中でも、海側か、山側か、北か、南か
によって食文化が異なるわけで、生死に直結する食文化が
違うということは、優先順位も違うという事です。


自分が好き(快)だなあと思うこと、嫌(不快)だなあと
思うことは、生き延びる本能であると思うわけです。
時間に正確でなければ生き残れなかったご先祖様をもつ
系統の人(ワタシはそうです)は、のんびりした人を見て
イラッときますが、それは別に心が狭いとかじゃなく
ごく自然なことだと思います。
自分の系統は、それでは生き残ってこれなかったから
不快(言い換えれば危険信号)に感じるのでしょう。


でも、その不快な感情は、あくまで自分の中の系統のもので
自分の中ではそれは善悪で言えば悪なんですけど
それを相手(例えばのんびりした人)に押しつけるのは
違うかなあと、そりゃまずいと思います。


生き抜く為に有効な方法は、その土地土地で違う訳で
日本国内でも違いますし、海外なら尚更です。


例えば日本人は、騙されやすい、海外に行っても
無防備すぎ、温室育ち、等と非難されることがありますが
日本では騙されまいとしなくても、物は正価で取引され
落とし物は帰ってくる、そんな社会を長年過ごしてきて
生き残ってこれた系統だったからだと思います。


日本では、嘘をついたり、ぼったくったりするのは
恥ずかしい事であって不名誉だ、という土壌を
築いていたからです。それが円滑に社会を動かす
つまり種の繁栄に有効だったのでしょう、日本では。


だからといって、ぼったりするのが『悪』というのは
自分の土壌でのこと。そうして取引をして生き残って
きた系統の人を非難するのは、お門違いだと思います。


ぼられて嫌(不快)な感情になるのも当然です。
そういう風に出来てますから。繰り返しになりますが
でもそれを押しつけるのは違うんじゃないかと
相手を蔑んだり、例えば○○人はダメだと言ったり
するのは、違うだろうと思うわけです。


『善』『悪』や『常識』というのは、その時
その場所で、その社会を円滑に動かす為に有効
なのであって、あくまでそこでしか通用しない
物だと考えるとスムーズです。


例えば、今現在の日本では不倫などは
道徳的、社会的に、不快な方に位置しますよね。
それを不快に思うのは、社会を円滑に動かすのに
有効では無い、と判断されているからだと思います。


また、自分の相手に浮気をされ、嫌だと思うのは
心理学的には独占欲かもしれませんし、遺伝学的には
その分、自分が種を残すチャンスが減る
と感じているからかもしれません。


しかし、それをする人の側に立って遺伝学的に考えれば、
彼らは多く種をまいておかなくては、生き残って
これなかった系統なのかもしれないわけですよ。


心理学的に考えれば、幼少時、親の愛を感じられず
求めても求めても満たされないのかもしれないわけですよ。


よく、犯罪者の親の教育の責任などが問われますが
要因のひとつにはなったとしても、とてもそれだけの
問題ではないと思います。


「性格は一代なんかでは決定しない」というのが
ワタシの考えです。土壌、食文化、生き残る知恵
何代も何代もかけて後世に残され、その時代、場所に
よって変化しながら決まる物だと思います。


また話が飛びますが、ぷーたんを見ていて
鳥はすごいなあ、鳥は!と思います。
飛ぶのに体を軽く保つため、骨が中空だったり
排泄をこまめにします。飛行に最良に作られた
流線型のボディは、もう感動的に美しいです。


動物や植物、つまり生きている物で有れば、なんらかの
エネルギーが必要ですが、それ(食物や水)は有限です。
どう得るのが、自分たち(の種の繁栄)には有効か
生物は貪欲に模索していると思います。


鳥は、それらを得るために移動することを選び
ヒトは、作物を作ることを選んだわけです。
つまり、ヒトも鳥も選んだ物が違うだけで生物として
変わりないですよね。もちろん感情もあります。
鳥だって快・不快が無ければ生き残っていけませんから。
(だから同じ地球の仲間だ!仲良くしよう!とか言ってる
訳じゃないですよ。仲良くするなとも言ってませんが。)


ただ、ヒトの喜怒哀楽は、他の生物よりも細分化して
いるであろうことは多分、皆さんも納得いくと思います。
集落をつくり、集団で協力して生き残っていくために
必要なものだったのではないかと思います。


重油が流れ出し、海鳥が真っ黒になった姿を見て
可哀想に、と思う気持ちがあります。
実際助けに行くわけでもないのに、偽善だ欺瞞だ
なんて思う必要はないと思います。
そう思うように出来てるんです。
そう感じることで、何かに有効に働いているはずです。


「情けは人のためならず」という言葉の意味は
人に親切にしたら、めぐりめぐって誰かから親切に
されるよ、親切にする良い行いは自分にも返ってくるよ
という意味です。誰かを気の毒だな、助けたいな
と思う気持ちは、結局は自分を守ることにも有効だ
という事を本能的に知っているからだと思います。


ここで、可哀想と思わない人がいたとしても
もちろんそれも『悪』ではありません。
その人は危険(弱い物に援助する=自分の取り分が減る)
を排除する方向で生き残ってきた系統なのだと思います。


昔、みんながワタシの様なら争いも起こらないのに
なんて傲慢な事を考えていた事がありますが
それではダメなんです。皆が同じでは、何かがあった時
全滅してしまいます。種として生き残るためには
多様性が不可欠です。


馬とシマウマはよく似ています。シマウマは馬から派生
した種だと思いますが、少し違う。食の好みも違う筈です。
ある草が突然変異で猛毒になったと仮定して、それが
好きだったウマは全滅してしまいますが、違う草を
食べていたシマウマは生き残れる。そういう事です。


違うことが有効なんです。
個性を大事に、とか言ってる訳では無いですよ。
解って頂けるでしょうか、えーとつまり
そういう風に出来てるんです。


ワタシが今思っていることは、多くの学者さん達が
切り開いてくれたもので、遺伝学の観点だったり
心理学や、民俗学の観点だったりするわけですが
そうして色んな角度から物事を見ると、物事は
簡単に善悪なんかでは片づかないと解ってきます。


もっと勉強して、例えば統計学や経済学や医学
その他のさらに色々な方面から見れるようになれば
物事をもっと多面的に見ることが出来ます。
「無知は人を傷つける」って遠藤淑子さんの漫画で
出てくるセリフなんですが、その通りだなと感動しました。


このワタシの長い文面を見ても、まるごと自分の思想に
反映させるのではなく、そういう一面もあると思って下さい。
インターネットが普及して、かつて無い情報が溢れる時代です。
願わくば、皆さんに多くの物事を色んな角度から見て欲しい
と思ってこうして筆をとった次第です。


あ!しつこいようですが、これも今現在のワタシの考え
ですから!数千年(もっと?)ワタシまで一度も途切れる
ことなくたどり着いたこの系統に加えて(そう考えるとすごい)
今、生きているこの状況の中で、一番納得出来るかな
と思える事です。


「今」は「今」だけです。時代は常に変化します。
常に「途中」なんだと気付いたのは、結構最近です(*^^*)ゞ


長い文章をここまで読んで下さって頂いた皆様
本当にありがとうございました!!


m(_ _)m




2002.11.現在