この文章は03/1/19(日)の補足です。
長文になりますので、興味のある方だけどうぞ〜m(_ _)m


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『メディアに載せるならば、初めから批判が
来ることくらい覚悟しておくべきだ。』


というセリフ、色んな所でまことしやかに語られます。
どうも前々から何かひっかかっていたんですが
自分の中で消化できたので書いてみようと思います。


このセリフは大体こういう三段論法です。

「現実問題としてメディアは批判が多い」
「色んな人がいるのだから反対意見が出るのは当然だ」
「反対意見に耳を貸さず、排除しようとするのはいかがなものか」


うん。間違ってはいないと思います。
でも、この理屈

『批判する人を正当化するのに実に都合がいい』

んです。



向井さんの例で言えば
子宮ガンにより赤ちゃんを失い、再発の恐怖と
闘いながら、体外受精にチャレンジしている彼女が
どれだけ、悩んだか、傷ついているかの
想像がつかないものでしょうか。

それとも、その人には向井さんがメディアに
取り上げられて調子に乗っているようにでも
見えるんでしょうか。

体外受精を肯定しろなんて言ってませんよ。
色んな考え、倫理観、あるでしょう。
自分の中では許せないことかもしれません。

でもそれ、「本人」に、「今」、「苦しんでいるであろう本人」
に「わざわざ」伝えなきゃいけないことでしょうか。
瀕死の重傷人に、さらにもう一太刀浴びせて
いるようなイメージしか沸いてきません。


それは『批判』という名を借りた『暴力』
としかワタシには思えないです。




『丸い卵も切り様で四角、物も言い様で角が立つ』
という言葉がありますが


「○○というご意見でしたが、ワタシはちょっと違って
○○という風に感じました。」

というのと

「○○という事が書いてありましたが、そういう考えは
おかしいです。あなたの常識の無さが伺えます。」


というのでは、貰った時のイメージが全く違います。
前者は、まあ『意見メール』という感じでしょうか。
で、後者が断言否定系の『批判メール』
同じ事を伝えたくても、後者のような書き方になるのは
何故か?というと、ワタシの考えではですね



『正義の鉄槌を下してやったようで気持ち良いから』



です。
ハイ出ました!『正義』!『マイ正義』!



もう一つ、ワタシが嫌だなあと思う
『一見、正しいっぽい批判』があります。


実際にあった話です。
とある日記サイトでこう書いてありました。

「昨日は雨でブルーだったけど、今日は良いお天気で嬉しい」

これに対して

「雨が大事な仕事の人もいます。そういう人の事も
もうちょっと考えて発言して欲しいです。」


この送り主が雨に左右される仕事なのか、勝手に代弁者に
なっているか解りませんが、これ送るべきメールですか?
この日記の文面が、誰かを傷つけようとしていますか?
そんなものは、前後の文脈から判断出来ませんか?


いや、実際に雨に左右されるお仕事の人だとしましょうか
今現在、とても雨が必要な状況で、本当に哀しく嫌な
気持ちになったかもしれません。だとしても、その意見は

『自分(あるいはどこかの誰か)を不快にさせるような
文章は、どんなものでも公開すること まかりならぬ』

と、言っているわけです。
世界中の誰にも不快にならない文章ってありますかね?
また、この時『自分の文章が相手を不快にさせている』
という事については、一番上にあるようなセリフを
引用して正当化することが出来ます。


実際、こういったメールは管理人を激しく凹ませます。
心で憤っても『一見、正しいっぽい』のがくせ者です。
自分の不用意な発言で誰かを傷つけてしまったんだろうか
と思わされてしまいます。


文字の力というのはすごいもので、直接脳に染み込みます。
特に真摯な言葉だと、肯定しようとしてしまいます。


これは大変タチの悪い『意見メール』に見せかけた
『批判メール』いえ『暴力メール』でしょう。
なんとなく「言葉狩り」を思い出します。


また、メールや掲示板というのは『言い逃げ』が出来ます。
サイト管理人と閲覧者の立場は対等ではありません。
管理人の方がずっと分が悪いです。

批判メールに対応すると「ほっとくのが一番」「相手にする
のは大人げない」なんて言われちゃいますし(苦笑)
実際それをネタにして、関係ない閲覧者を不愉快に
させるのも本意ではありません。という訳で、苦々しい
想いを昇華することも出来ず、殆どは我慢するわけです。

送った人は『言ったもん勝ち』です。
自分の素性を知られる事なく、反論されるリスクの少ない
『マイ正義』の鉄槌は、さぞかし気持ち良うございましょうね。



『マイ正義』の押しつけは特別なことではなく、日常でも
ついやってしまいがちな事だと思います。
自分の中では『正義』ですから、やましい事が無い。
良心の呵責などあるわけない。だから、やっかいなのです。


これを正当化するのによく使われるのが『常識』です。
ワタシは『常識』という言葉を振りかざすのを
あまり快くは思っていません。


「自分の正義は皆の正義!広く一般に認められてるの
この正義は!だからこっちは正しい!そっちは間違い!」


って、言ってるように感じられて。


そりゃあ自分の正義が『常識』なら、楽ですよね。
何も譲る必要がないですから。



生物が楽な方へ向かうのは、本能だと思います。
楽を上回る「快」や「生命維持」「緊急避難」
等でない限り、積極的に動く事はないでしょう。
有限のエネルギーが勿体ないですからね。


でも、本能で『楽』だからといって『マイ正義』を押しつけ
るのは、やめませんか。押しつけられる方は『苦』です。
そして大概、押しつけるのが好きな人は
押しつけられるのが大っ嫌いなんです(苦笑)
そりゃ『苦』と『楽』じゃ違いすぎますからね。
ここに気付いて、譲ったり、譲られたりしませんか。


といったわけで、『マイ正義』を押しつける人を助長させる
一番上のようなセリフは、どうかな〜と思いました。


じゃあ、すごく『マイ正義』を押しつけてるサイトは
どうなの?それも批判しちゃいけないの?という
ご意見には『見なくていい権利』の行使をお薦めします。


自分の正義と他人の正義は違うと気付けば
傷つける人も傷つけられる人も、減るんじゃないか
という期待を込めて一言でまとめたのが


『自分の正義を他人に押しつけるのは、
時に悪意よりずっとタチが悪い』



だった訳です。わー!長い補足!(;^▽^A


この文章自体が『ゆみぞうの正義』の押しつけじゃん
と感じられてしまったら申し訳ありません。
ずっと思ってきたことを、すなおに書きました。
こういう意見もあるのだな、と思って頂けたら幸いです。


長い文章をここまで読んで頂き
本当にありがとうございましたm(_ _)m




ゆみぞう


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〜追記〜


約100通の反響メールを頂き、ありがとうございました。
失礼ながらここで、多かったご意見に
少しお返事させて頂きます〜〜m(_ _)m


『最近、批判メールでも沢山きたんですか?ちょっと心配です』

いえいえ、違うんです。単に、ずっともやもやしていたものを
このきっかけに「よしっ」て勢いづいただけです。
ご心配かけてスイマセンです。(*^^*)ゞ


『「マイ正義」って言葉が少しきつく感じてしまうかも・・・』

あわわ、スイマセン。「マイ正義」は悪くもなんとも無いんですよ。
極端に言えば、心でどんな残酷な事を思ったとしてもいいんです。
でも普通それ、実行しませんよね。実行したら押しつけです。
「押しつけ」には気を付けませんか?って事なのでどうか一つ〜m(_ _)m


『どう言ったって、やっぱりそういうのは無くなりませんよ』

うん、そうかもしれないんですけど。例えば「有名税」とか
今ある事象に言葉をつけただけじゃないですか。
それじゃあ、何も変わらない。実はワタシ、インターネットって
すごいと思ってるんです。過去のそういうことが変えられる力が
あるんじゃないかって。そんな期待をこめて書きました。(*^^*)ゞ


『この文章に対する批判も来るでしょうが、落ち込まないで!』

ありがとうございます!大丈夫です!
正直に告白すれば、最初の方はヒーヒー泣いてましたけど
人間てすごいですねえ〜強くなりますねえ〜
今はちゃんと理性的に受け止められますよ〜(笑)


『応援してます!』

本当に嬉しいです(感涙)
悪意のあるメールは、好意的なメール100通をチャラにする
なんて言いますけど、やっぱり好意的なメールの1通が
悪意メールのどぎつさを、薄くしてってくれます。
あ、でも、悪意メールって実はそれほど来ないんです。
例えば今回は、反論メールを2通ほど頂いたくらいで・・
でもでも!本当に嬉しかったのです!
メールを送って下さった皆様、本当にありがとうございました!!

絵日記でもかいてみようか 日記系サイト ゆみぞう